IT企業の頂点に君臨すべく、私がすべきこと

私にとってITとはこれから生業になることである。

がしかし、そのスキル

ないし、この業界において

頂点を掴み取るには

精神的覚悟と呼べる

確固たるものは存在するはずもない。

 

しかし、私には夢がある。

夢なんて小学校以来に使った言葉かもしれない。

哲学の授業において

「自分らしい生き方」について言及させられたことがある。

そのとき私は、

多くの人々、ましては顔見知りのいる前で

醜態を晒すまいと、真実を語ることができなかった。

 

しかし、ここはいわば私の庭だ。

Twitterが自分の意見を自由に捌ける場所だと

多くの人間が豪語する。

 

が、しかし、私にとってその魔法の言葉は、

どこ自分の言動に責任を持ってない逃げの一手のように感じるのである。

 

私は、他人と同じように羞恥心を持ち合わせているが、

恥ずべきことを自信をもって堂々と行うことを心がけている。

 

これをなせる理由は、自分を特別だと考えるからだ。

自惚れだろうか。

自惚れだろう。

 

確かにこれは自惚れだ。

前述したように、私には誇るべき知識もスキルもない。

 

しかし、自分には無理だと暗示をかけ

行動しないことこそ、

臆病であり、最低なことだと考える。

 

無理やりにでも、

事実無根であったとしても

自分自身を最上級に肯定できるのは

 

他の誰でもない自分自身だ。

 

さあ。話を戻そうか。

 

こんな戯言に付き合えるほど、

活字離れが進む現代に

マッチしていない行動ということは100も承知である。

 

さて、私は晴れて来年の4月から新入社員として

スーツに袖を通す。

 

今年は選択の連続であり、

人生で最も自分という存在について考えさせられた期間である。

 

そしてそんな私の人生最大の選択は

大手 IT企業に就職することだった。

 

この選択の背景は

自分自身にはっきりとした武器を身につけることだった。

 

親にはもっとメジャーなところを目指せと言われた。

腹も立ったが、言いたいこともよくわかる。

 

なけなしの給料で私と弟を育て上げ、

両方を大学に通わせたのだ。

 

それに見合った成果を息子に対して求めるのは

自然の条理であろう。

 

 

だが私の選択、いや夢は

そんな親たちが求める安定と言われるものからは

程遠いものだ。

 

かくして私は、フリーランス として働きたいのである。

そのために自分にとって登竜門となる大手IT企業への就職を決めたのである。

 

(ああもう飽きてきたなあ。)

 

 

そのために今からコツコツ努力を重ねていきたい。